9/11/2014

お気に入りの映画 ーゴジラ誕生!ー 野外上映会で観た「ゴジラ」1954年版オ リ ジナル

今回は上のビデオでBGM を流しつつお読み下さい。




8月15日は終戦記念日でした。
脈絡がないですが、近くのメトロパークでの野外映画会の「ゴジラ」を観に行きました。
Detroit Institute of Arts主催の映画上映会です。
Movies at the Metroparks という夏の特別イベントです。
車1台ごとに公園への入場料を払います。
7ドル也。
これで家族全員が大画面の映画を観られますから安いもんです。

会場の公園 Stony Creek Metro Park には、けっこう人が集まっていました。


大きなスクリーンは、とてもはっきり画像が写っており、
大したものだと思いました。

会場はアメリカ人ばかりといっていいくらいでした。
その中、日本語のゴジラの歌が流れていたので、何だか不思議な空間でした。
ここミシガンに引っ越して来たところ、
こういった野外での映画会が多い気がします。
冬が長い分、夏場は外を楽しみたいということなのでしょうか。
野外でなくとも、息子の小学校では毎年2、3回
体育館で映画上映会をしています。
毛布や枕を持って行き、気ままな姿勢で映画を観ます。
入場料はタダですが、
その場で売られるピザ、ポップコーン、お菓子、飲み物を買うことになります。
その売り上げが学校への寄付金として計上されるという仕組みです。
この小学校での映画会は時々行きましたが、
映画を観るというより、
学校の友達とわいわいガヤガヤ過ごして遊ぶという感じ。
住んでいる町でも、夏場は公園で野外映画会がありますが、
ここでもポップコーンやらドリンクやら売っています。
という事で、
息子にとって映画=ポップコーンというイメージはかなり強く、
この日もポップコーンを食べる気満々でした。

ところが、さすが、美術館主催の学芸色の強いイベントです。
「ゴジラ」オリジナル作品についての解説パンフレットやら、
学生さんたちの制作した自主映画などのPRといった
芸術活動について啓蒙するような資料系はふんだんにありましたが、
ポップコーンや飲み物の販売はなし。
オニギリとおせんべいを持って行って良かったです。


そうこうしているうち、
上映開始時刻となりました。
主催者の DIA の方から上映会の趣旨の説明を兼ねたご挨拶。
さあ、いよいよ上映の始まりです。





まずは学生さんたち制作の短いビデオ映画作品を幾つか観ましたが、
この間は、まだ暗くなったばかりで冷え込みの前。

うわ、来た、プーン

私はまとわりつく蚊に悩まされました。
涼しいですが、おっとどっこい、
ミシガンのここらあたりは、けっこう蚊がいます。
私は蚊に好まれるので、屋外でのイベントが苦手です。
会場の広場にもそこはかとなく虫除け剤の匂いが漂っていましたが、
私も虫除け剤のついたワイプを持って行ったので何とかなりました。
家族でなぜ私だけがこうも蚊に刺されるのか、さっぱり訳がわかりません。

「フェアじゃないなー」

と、いつも思います。

そうこうしているうち、
いよいよ「ゴジラ」が始まりました。
ぐっと冷えて寒くなったので、蚊も静かになりました。


今年のミシガンは冷夏。
猛暑の日本への一時帰国から戻ったばかりの私たちには、
朝晩の冷え込みがことさらしみます。

「冷えるから、暖かいジャケットを持って行くんですよ」

と出る前に声をかけておいたのに、
息子の心はポップコーンに行っていたのか、
長袖の上着を着込んだのみでジャケットはなし。
結局、後で寒いと言い出し、夫からジャケットを奪い取ることに。
熱いお茶を持って行って良かったです。

小さな子供時代の映画館の思い出は、
私にとって、ゴジラの一言につきます。
白黒テレビが全ての家庭にあるわけではなかった頃でしたから、
どんな田舎町にも小さな映画館があったものです。
記憶はおぼろなのですが、ゴジラの目、姿、
あの雄叫びの声、BGMといった物が断片的に、
フラッシュバックのように私の中に蘇ってきます。


あたりは暗く、目の前にあるのは、懐かしい昔の映画の画面。

一体、自分は何時の何処にいるのか??

この、不思議な感覚に、わくわく胸が踊りました。


このゴジラデビュー映画は、
戦後10年くらいに制作されています。
ご承知の通り、
日本には原爆が落とされ、放射能による手ひどいダメージを受けています。

当時は海上で水爆実験が盛んに行われていました。

ゴジラはその水爆実験のため、
恐竜が彷徨してた時代の地層の中に潜んでいたのが追い出され、
行き場を求めて日本に上陸したという設定です。

余談ですが、
映画の中で、ゴジラについて考古学者の山根博士が見解を述べるシーンで、
恐竜がウロウロしていたジュラ紀のことを実際と違い、
200万年前と、桁を少なく言っておりました。
明らかな間違いなのですが、ゴジラ研究家の意見によりますと、
映画の中で、島のゴジラ伝説に信憑性が出るには、
人類発祥の頃に合わせる必要があり、
ジュラ紀なるものがもっと近くないといけないのだそうです。
SF映画ですから、実際と架空が最もらしく共存してしかるべきという事らしいです。

単に桁を間違えて台詞に書いてしまっていたのか、
意図的な物だったのかは、製作者側からのコメントが見当たらないので謎です。
台詞を吹き替えるだけで良いので、訂正していないままですから、
意図的な物という事で考えておきましょう!
細かいこと考えていたら怪獣映画は楽しめません。

ゴジラが通った所は放射能が検出されます。
どうしたらゴジラを倒せるかという意見を求めらる中、
水爆実験の影響からもサバイバルした
その強い生命力を研究すべきと主張する山根博士でしたが、
ゴジラの破壊力は余りにも手酷く。。。

とにかく、姿を現したゴジラは、
日本の東京界隈を徹底的に破壊します。
電車もビルも破壊されます。
国会議事堂も破壊されます。
自衛隊が出場して応戦します。
はっきり言って、これはもう戦争です。

映画の中で、通勤途中か何かの人々がぼやいていた台詞に
こんな感じの物がありました。

「こりゃ、どっかにまた疎開かな」
「やだな、また疎開かよ」

1957 年というと、戦争が終わってまだ10年程度です。
疎開という言葉が自然に身近な物として、さらりと出て来ています。
確かに、10何年前かは子供だった彼らは疎開に行っています。

あと、驚く事に、怪獣があらわれたというのに、
のどかに通勤したりしています。
今ではこんな事は考えられません。
即、近隣の人々は避難でしょう。

大空襲を経験した戦争の余韻がまだ残る中です。
何かで読んだのですが、
「私たちは恐怖や悲しみにさらされ深刻な顔をいつもしていた訳ではなく、
普通の泣き笑いのある日常も過ごしていた」
とありました。

恐怖と隣り合わせの日常生活。。。

ゴジラは国会議事堂を破壊します。

テレビのニュースキャスター。
下の場面のタワーに上り、現場をドキュメントしていましたが。。。
ついに襲われて。。。
報道陣は、こういう場合、殉職。。。ということになるのだろうか。。
ゴジラの手(前足)のあたりに固まっているのが報道陣。
山根博士は、ここまで来るともう、「ゴジラの生命力を研究すべき」
とは言わなくなっています。
右は山根博士、左は娘の恵美子。
昔懐かしい俳優さんたち。

ゴジラを倒すための鍵を握る若き研究者・芹沢博士がいました。
彼は山根博士の娘恵美子の許婚(いいなずけ)でしたが、
戦争で身も心もボロボロになり、片目も失い、
婚約を破棄して、自宅兼研究所に引きこもって暮らしています。
彼が偶然発見、開発した「オキシジェン・デストロイヤー」は、
水中の酸素を一気に破壊し、中の生物をたちどころに滅ぼしてしまうという物。
海中に潜むゴジラを倒すのにうってつけの武器です。

でも、芹沢博士は、自分の発見をひた隠しにしていました。
なぜなら、科学を戦争のために使われるという悲劇を繰り返したくなかったからです。
広島、長崎に落とされた原爆、そして盛んに続く水爆実験。。。

「この発見を世間が知ったら、
絶対にーー絶対に戦争に利用されるに決まっているんだ!」

と、恵美子とその恋人である尾形博士(山根博士の弟子)が、
オキシジェン・デストロイヤーをゴジラを倒すために使わせてほしい
と頼み込むのを頑なに突っぱねます。

そう、「ゴジラ」は平和へのメッセージ色がとても強い映画なのです。

終戦記念日に「ゴジラ」なんてと思いきや、
実はしっかり「戦争」「平和」といった事を深く考えさせる映画なのでした。

さて、せっかく復興しつつあった東京界隈ですが、
ゴジラが暴れ回った事で、戦後の焼け跡さながらの状態に戻ってしまいます。
もちろん、沢山の人々が犠牲になりました。
ゴジラの破壊行為はもちろん止まりません。
誰かが止めなければ。。。

苦しんだ、芹沢博士は、苦悩に満ちた顔で、
「一度だけだ。これっきりだ」
と言い、オクシジェン・デストロイヤーについての文書を焼き捨てます。
誰もこれを作ることができないようにーー。


そして、芹沢博士と尾形博士の2人はゴジラが潜む海の底に。


オクシジェン・デストロイヤーが噴出されると、
ゴジラはみるみる骨となり、その骨もたちどころに消え去ってしまいました。

当然の事ながら、オクシジェン・デストロイヤーの発見者である芹沢博士も、
自ら水上につながるパイプを切ります。
「幸せにになれよ」
と言葉を残して。。。。

ーーーそう、
この恐ろしい発見をした自分もこの世から消えなくては、
完全にオクシジェン・デストロイヤーを葬る事はできないのですから。

一方、水上では、山根博士がつぶやくのです。
「水爆実験を続けているかぎり、また第2,第3のゴジラが現れるに違いない」


ゴジラの映像は、今のように特撮の技術、
画像の編集技術がなく、
特撮に向けて第一歩を踏み出した作品と言えます。
所々、オモチャのように見えるヘリコプター、車などあり、微笑ましいです。
でも、実のところ、1950年代に製作したこの特撮映画は、
驚くほどリアリティを感じさせ、じつに見応えがあります。
白黒画面の利点を駆使し、美しい映像を作り上げています。

近年、アメリカはゴジラブームで、
けっこう簡単に昔のゴジラ映画をダウンロードして観る事ができます。
現代の映像技術はものすごいですから、
このオリジナル「ゴジラ」の映像もきれいに整えられていました。
白黒の画像がとてもクリアで本当に美しかったです。

映画は興行は大成功でしたが、
評論家やメディアからの評価はボロクソだったそうです。
三島由紀夫は絶賛したそうですが、あとはチョボチョボ。

ところが、アメリカをはじめとした海外で高く評価されると、
ころりと態度が変わったようで、
これは今の日本も変わっていないのでは?

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円谷英二という特撮の巨匠が、この時、ゴジラとともに生まれました。
(もう世を去ってしまっておりますが)
私の子供時代の思い出は円谷プロとともにあります。

映画の中、ゴジラの姿は見えないけれど、足音が
ドーン、ドーン、ドーンと響き渡る所、
スピルバーグの「ジュラシックパーク」で T Rex が出て来るシーン
(足音と振動でコップの水が揺れるシーン)が思い出されました。
スピルバーグもしっかり円谷英二の影響を受けているようです。
日本が生んだ怪獣特撮映画の巨匠です。

円谷英二とゴジラ
http://pinterest.com/pin/A9zaVAAQANgDurvhRF0AAAA/

下はゴジラの雄叫びのラインアップ。
懐かし〜〜〜〜。
現代のアメリカ版ゴジラまで。

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ところで、ゴジラは東京、横浜界隈をを徹底的に破壊して歩きますが、
皇居にはさっぱり手を出していません。
やはり天皇と言うのは、アンタッチャブルな存在なんですね。
恐れ多くてゴジラも皇居には足を踏み入れなかったようです。

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