12/18/2014

お気に入りの映画 ーRomeo and Juliet (1968) 永遠のジュリエット、オリビ ア・ハッセー


日本にいた頃に観た洋画の中で、
特に印象に残っている物の1つに
「ロミオとジュリエット」があります。
ご承知の通り、ウィリアム・シェイクスピアの有名な作品の1つ。
ですからストーリーを説明する必要はなし!

(Olivia Hussey)

オリビア・ハッセーの初々しい美しさは今でも多くの人々を魅了しています。
新しいバージョンの「ロミオとジュリエット」も製作されていますが、
この1968年版を超えていないと思います。
ニーノ・ロータのテーマ曲も素晴らしい。

Nino Rota
"What Is A Youth" 

歌がダブってしまいますが、
映画の最初、ロミオがジュリエットに一目惚れする場面。
敵対する名家のパーティーにもぐり込んだロミオが恋に落ちたのは
よりによって自分の一族と敵対する一族の愛娘。
ロミオはいささか強引にジュリエットに迫ります。
そしてその直後敵対するキャピレット家の娘と知り。。。
でももうこの気持ちは止められない。


ところがどっこい、
ジュリエットもロミオにすっかり一目惚れ。
要するに二人とも互いの素性を知りながら相思相愛ということがわかる
有名なバルコニーのシーン。
「おお、ロミオ、ロミオ、あなたはどうしてロミオなの。。。」てなやつです。
  

クライマックスの墓のシーン
秘密の結婚式をあげた二人。
ジュリエットが仮死状態になり、周囲に死んだと思わせて危機を切り抜け、
ロミオと\晴れて一緒に駆け落ちできるという筋書きだったのに。。。
連絡の行き違いでロミオはジュリエットが本当に死んでしまったと絶望するのです。


この映画がリリースされるにあたって、
メディアが主役2人を大々的にキャンペーンしました。
きゃ〜、青春!


 

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https://www.pinterest.com/pin/276971445809143228/

この永遠のジュリエット
オリビア・ハッセーですが、
とても奇麗な人なのに、この「ロミオとジュリエット」以来、
なかなか良い役に恵まれていません。
とても美しいし、とても有名だけど
なぜか活躍しきれていないという女優さんの位置づけだったと思います。
映画のジュリエットがあまりにもはまり役だったため、
そのイメージが邪魔をして後に支障をきたした
というのが一般的な解釈です。
素晴らしいはまり役を演じるのは幸せな事ですが、
最初の映画でそれだと何が幸せなのかわかりませんね。

https://www.pinterest.com/pin/276971445809143229/
http://en.wikipedia.org/wiki/Leonard_Whiting

相手役のレナード・ホワイティングも
300人中から「これこそロミオ」と抜擢されたようですが、
オリビア・ハッセーよりもっと鳴かず飛ばずです。
調べてもこの「ロミオとジュリエット」の事くらいで
俳優さんとしては、がらんどうに近い。
そういう意味では「ロミオとジュリエット」という映画は、
この若い二人の俳優さんたちのその先の運を全部吸い取ってしまったのかも。。
そのくらいインパクトが強い作品と言えます。
映画は今も好んで人々に観られています。

いわば2人はこの映画の中に永遠に封じ込められた存在。

ーーそんな風に思いました。

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布施明


ところで、私が一番驚いたのは、
オリビア・ハッセーが日本の歌手・布施明と結婚した事です。
当時、布施明はとても魅力的で人気の大変ある歌手でした。
でも世界的に有名であったわけではありません。
オリビア・ハッセーの方は
ハリウッド界では「あの人、今、何してるの?」という感じ。
日本では「ジュリエット」の知名度は色あせる事なくーー。
化粧品会社のCM、キャンペーンが大ヒット。

CMソングを歌った布施明が、猛烈に夢中になったようです。
当時の日本のアメリカへのあこがれを象徴しているなあ。
でも、世界の壁は厚く。言葉の壁は厚く。

間もなく2人は離婚しました。

今回、検索してみたら、
この2人が仲良く2人で写っている良い写真が見つかりません。
その前のダンナ様との写真はけっこう見つかるのですが。
私の探し方が悪いのかな?

そして2003年、今から10年ほど前ですが、
オリビア・ハッセーはまた大役を射止めます。
マザー・テレサです。
https://www.pinterest.com/pin/276971445809135365/

若い時はジュリエット、
老いてからはマザー・テレサ。
何といいますか、
オリビア・ハッセーという人は
一般的な役はおさまりが悪い人という事の証明ではないかとも思った次第。

老いてからと書きましたが、
まだまだ美しい方です。
(年下の私の方がボロボロ)
マザー・テレサに似せるためにほどこされた特殊メイクも
この映画の話題の一つです。

https://www.pinterest.com/pin/276971445809135349/

https://www.pinterest.com/pin/276971445809135363/

まだご覧になっていない方、
これもぜひ観ましょう〜。

下は映画のトレイラーです。



オリビア・ハッセー(Olivia Hussey)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%BC
Romeo and Juliet (1968) Video Mix
https://www.youtube.com/watch?v=EuVu9bb0gHQ&list=RDEuVu9bb0gHQ#t=382


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おまけ
2013年版の「ロミオとジュリエット」のトレイラー。
私見ですが、
これは主演の俳優さんたちが「映画に閉じ込められる危険」はなさそうです。

2 件のコメント:

  1. 2人の出会いは、79年3月に遡る。
    オリビアが出演していたカネボウ化粧品のCMソング「君は薔薇より美しい」を布施が作詞、作曲したのがきっかけでロマンスに発展。当時は”プレーボーイ布施”と”恋多きハリウッド女優オリビア”の一時的なアバンチュールと噂されていた。しかし、その後、7月にはオリビアがお忍びで来日、布施とデートしていたことが発覚した。
    それだけではない。その翌8月には、今度は布施が、ハリウッドのビバリーヒルズにあるオリビアの豪邸を訪問したことから、一気に「大物国際ロマンス」と芸能界が騒がしくなった。
    …といっても、2人の間にはさまざまな障害があった。オリビアは、71年4月に歌手ディーン・マーチンの息子ディノ・P・マーチンと結婚して、長男アレキサンダー君をもうけていた(75年に離婚)。しかし、布施がオリビア邸を訪問した時、アレキサンダー君は布施になついていたことから、その障害は取り除かれたという。
    さらに「言葉の問題」もあった。しかし、布施は帰国後、国際電話でラブコールを繰り返して”言葉の障害”も少しずつ乗り越えていったという。海を越えた「究極の遠距離恋愛」だったわけだ。
    そうした中、一部のスポーツ紙が80年1月6日付の芸能面で「結婚が固まった」とスクープ。芸能界は騒然となり1月10日、布施が出演したTBS「家族そろって歌合戦」では、収録場所となった静岡県伊東市の観光会館にはマスコミが殺到した。
    番組の収録後に囲み取材に応じた布施は「オリビアとの結婚」の質問に、最初は「結婚する可能性もあるし、しない可能性もある」とはぐらかしていたが、「交際しているのは事実。昨年夏にロスで会ったときは”ライク”だったが、今は”ラブ”に移行しつつある」などと、真剣な交際であることを認め、「結婚したら2人で努力する」と前向きな発言をして一気に国際結婚への機運が高まった。
    この時オリビアは、角川映画「復活の日」(深作欽二監督)に出演していた。カナダ・トロントで行われていたロケにオリビアが参加するとあって、日本から多数の取材陣が現地入りした。同年1月30日(日本時間31日)、現地でオリビアの記者会見が行われ、初めて日本のマスコミの前に姿を現した。
    布施との結婚について聞こうとする報道陣と「プライベートな質問は一切しないで欲しい」という角川側の間でひと悶着あったが、オリビアは自ら「お互いに愛し合っているし、この気持ちを大切にしたい」と発言。布施&オリビアの”国際結婚フィーバー”は一気に加速していった。
    因みに、結婚を決意した時期について、布施は「4〜5日前に決めた」と言ったのに対して、オリビアは「6か月前に決心した」と食い違った。
    オリビアは「半年前にロンドンに住む両親にも伝えた」というから、2人の話から、結婚についてはオリビアの方が積極的だったのかもしれない。さらに、挙式後の心境を問われたオリビアは「ハッピーね。彼を信じてついていくわ」とうれしそうに語った。また、ハネムーンについては「これ(マイアミでの挙式)がハネムーンよ」。
    子供に関しては布施が「今は難しい。もう、1人(オリビアと前夫の子供)いますから」と控えめに語ったことに対して、オリビアは「オフコース」と言って片手を差し出した。ただ、記者から「それは5人か?」と問われ、「分からない」。
    また「ファンに対してのメッセージを」と言われ、布施は「両親にはどうもすみませんという気持ち。ファンには一番最初に報告したかった。近いうちにステージから報告したい」と、複雑な心境も吐露していた。
    さらに、結婚後の生活については「彼女はロスでの活動が中心になるでしょう。もし、仕事があったら日本に来る。僕の方が日本とロスを行ったり来たりすることになる」と布施。オリビアは「息子のアレキサンダーもアキラのことは大好き。私もきっといい妻になれる」とアピールした。
    しかし、2人の夫婦生活は10年続かなかった。ハリウッドで活躍するオリビア。日本で仕事をする機会が増えていった布施。”日米のすれ違い”が原因で何度となく離婚の危機が噂され続ける。
    離婚が決定的になったのは89年1月だった。何と、37歳のオリビアに15歳年下となる22歳の歌手兼俳優の新恋人ジェイソン・サイナイ君が出現したのだ。布施は、急きょ渡米したものの、わずか1週間の滞在で大型トランク4個に荷物をギッシリ詰め込んで帰国する。まるでロスの家から引っ越しするような荷物の量だった。
    89年4月――マクシミリアン君はオリビアが引き取り、布施が教育費を支払うことで離婚が成立した。米カリフォルニア州法に基づく離婚で、「布施は3億円の慰謝料を払わされた」という情報も流れたが、布施は記者会見で否定した。「今後もオリビアとはよき友人として付き合っていきます」と布施。「大型国際結婚」は9年であっけなく破局した。
    ところで、2人の間には83年1月にマクシミリアン君が誕生している。そして、ロサンゼルスに新居を構えたが、布施自身、英語が苦手だったこともあって現地のアーティストのユニオンに入ることができず、「国際的アーティストの夢は破れた」という。85年1月から日本での仕事に復帰して、日本に”出稼ぎ”する生活となり別居生活が続いたという…。

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  2. 情報をいただき、どうもありがとうございます。

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