今回はまた、お気に入りの映画。
2003年の映画 「ステーション・エージェント」(Station Agent)です。
http://www.thestationagent.com/cast.html
この映画は、何げなしにこちらの劇場で観た映画の1つ。
わたしは何の前情報もなく、
ふらりと映画を観に行くのが好きです。
どんなお話か知らない方が、
純粋に映画の中に入っていけるからではないかと思います。
2003年の映画 「ステーション・エージェント」(Station Agent)です。
http://www.thestationagent.com/cast.html
この映画は、何げなしにこちらの劇場で観た映画の1つ。
わたしは何の前情報もなく、
ふらりと映画を観に行くのが好きです。
どんなお話か知らない方が、
純粋に映画の中に入っていけるからではないかと思います。
以下、簡単なあらすじを書きました。
* * *
主人公のフィン(フィンバー)は、小人症。
大人になっても、身体は子供のままのサイズで、
行く先々で無遠慮な好奇の目で見られてしまいます。
人と違うという宿命が、彼を殻の中に閉じ込め、
小さな鉄道模型屋の黒人店主ヘンリーとのささやかな空間で、
淡々と生活していました。
店主自身も一人者。
しかも黒人ですから、
同じように、生まれながら持つ、変えようにも変えられない外見ゆえに
色々な事が起こる切なさを知っています。
二人の間には、温かい家族的な気持ちがあり、
鉄道にめっぽう詳しいフィンを、店主は彼を「教授」と呼んでいました。
フィンの鉄道の知識といったら、並ではなかったのです。
ところが、ある日、店主が突然、亡くなってしまいます。
遺言により、鉄道模型屋はたたんで整理されてしまい、
フィンは、ニュージャージーのニューファウンドランドにある、
廃屋となった駅舎を譲渡されます。
行く所のないフィンは、
この小さな田舎町の駅舎で一人暮らしを始める事になりました。
いやでも人の注目が集まる、小さな田舎町。
でも、行くしかない。
小さな田舎町ですから、たちまちフィンは、
人々の好奇の目を集めます。
でも、都会で生きていた時同様、素知らぬ振りをして、
淡々と生活しようとします。
ところが、そこは、小さな田舎暮らし。
素知らぬ振りを、お互いができにくい社会。。。
そんななか、陽気でひたすらおしゃべりを続ける
コーヒースタンド屋・プエルトリコ人のジョー、
フィンを危うく車で轢きそうになったオリビアと知り合い、
この3人は、ほっと落ち着く友好関係をつくりあげていきます。
ジョーは、底抜けに明るく振る舞いますが、
心の中に、何か空洞があるのを時々見せます。
その空洞を埋めるために、無理して明るくしているようなところがあります。
オリビアは、アーティスト。
最愛の息子を不慮の事故で亡くし、傷ついた心がどうしても癒せない。
そして、この悲劇以来、
長年連れ添った夫に、どうしても受け入れられない何かを感じ始め、
彼女の中で、結婚生活は崩壊の方向に向かって進んでいます。
夫は、オリビアの心の中に空いた、深い穴を埋めるどころか、
ますます深く、大きなものにしてしまうのでした。
フィンとジョー、オリビアは、性別や人種を超えた、
一緒にいるだけで、妙に落ち着くーーという感じの関係になっていきますが、
何といっても特筆なのは、
映画をみていくうち、フィンの小人症の姿が、
どんどん気にならなくなっていき、
違和感なく、普通の人間としてーー
というより、けっこう「かっこいい奴」に見えて来ることです。
フィンは、町の図書館をよく利用しますが、
そこで働く、若い女性スタッフと、ちょっといい感じにもなります。
引っ越して来て間もない頃、フィンの事を自分と同じ子供と間違えて
話しかけてきた小学生の女の子がありました。
以来、女の子は、鉄道について並ならぬ知識のあるフィンの大ファンになります。
そして、ついに、その子の学校で、十八番の鉄道の話をする事になりました。
そこでも、当然の事ながら、心ない男の子から「小さな体」のことをからかわれますが、
もう、フィンは全く動じません。
その時、「気球」の話になって、子供たちから「気球」について質問されたフィンは、
自分が気球の事には、あまり詳しくないことに気づきます。
その夜、ジョー、オリビアと、くつろいだ時を過ごすフィン。
「気球」っていいな。
気球のこと、調べてみようかな、と半ば独り言のように語ります。
鉄道から気球へ。
フィンの人生が、さらに新しい方向に向かっていくことを予感させつつ、
物語は終るのでした。
*** ***
私がこの映画を好きな理由は、
観ているうちに、主な登場人物たちの、
見た目ではなく、心が見えるようになってくるところ。
フィンの外見が、ほとんど気にならなくなってきたとき、
いつの間にか、映画を心の目でみている境地になっている事に気づかされます。
普段の生活のなかでは、明らかに見てくれに振り回されている私たち。
いかに外見や、表面上の振る舞いに振り回されて生きていることか。
この映画は、お説教抜きで、私たちを「こだわり」から自由にしてくれます。
そして、そこが、この映画の魅力だと思っています。
* * *
主人公のフィン(フィンバー)は、小人症。
大人になっても、身体は子供のままのサイズで、
行く先々で無遠慮な好奇の目で見られてしまいます。
人と違うという宿命が、彼を殻の中に閉じ込め、
小さな鉄道模型屋の黒人店主ヘンリーとのささやかな空間で、
淡々と生活していました。
店主自身も一人者。
しかも黒人ですから、
同じように、生まれながら持つ、変えようにも変えられない外見ゆえに
色々な事が起こる切なさを知っています。
二人の間には、温かい家族的な気持ちがあり、
鉄道にめっぽう詳しいフィンを、店主は彼を「教授」と呼んでいました。
フィンの鉄道の知識といったら、並ではなかったのです。
ところが、ある日、店主が突然、亡くなってしまいます。
遺言により、鉄道模型屋はたたんで整理されてしまい、
フィンは、ニュージャージーのニューファウンドランドにある、
廃屋となった駅舎を譲渡されます。
行く所のないフィンは、
この小さな田舎町の駅舎で一人暮らしを始める事になりました。
いやでも人の注目が集まる、小さな田舎町。
でも、行くしかない。
小さな田舎町ですから、たちまちフィンは、
人々の好奇の目を集めます。
でも、都会で生きていた時同様、素知らぬ振りをして、
淡々と生活しようとします。
ところが、そこは、小さな田舎暮らし。
素知らぬ振りを、お互いができにくい社会。。。
そんななか、陽気でひたすらおしゃべりを続ける
コーヒースタンド屋・プエルトリコ人のジョー、
フィンを危うく車で轢きそうになったオリビアと知り合い、
この3人は、ほっと落ち着く友好関係をつくりあげていきます。
ジョーは、底抜けに明るく振る舞いますが、
心の中に、何か空洞があるのを時々見せます。
その空洞を埋めるために、無理して明るくしているようなところがあります。
オリビアは、アーティスト。
最愛の息子を不慮の事故で亡くし、傷ついた心がどうしても癒せない。
そして、この悲劇以来、
長年連れ添った夫に、どうしても受け入れられない何かを感じ始め、
彼女の中で、結婚生活は崩壊の方向に向かって進んでいます。
夫は、オリビアの心の中に空いた、深い穴を埋めるどころか、
ますます深く、大きなものにしてしまうのでした。
フィンとジョー、オリビアは、性別や人種を超えた、
一緒にいるだけで、妙に落ち着くーーという感じの関係になっていきますが、
何といっても特筆なのは、
映画をみていくうち、フィンの小人症の姿が、
どんどん気にならなくなっていき、
違和感なく、普通の人間としてーー
というより、けっこう「かっこいい奴」に見えて来ることです。
フィンは、町の図書館をよく利用しますが、
そこで働く、若い女性スタッフと、ちょっといい感じにもなります。
引っ越して来て間もない頃、フィンの事を自分と同じ子供と間違えて
話しかけてきた小学生の女の子がありました。
以来、女の子は、鉄道について並ならぬ知識のあるフィンの大ファンになります。
そして、ついに、その子の学校で、十八番の鉄道の話をする事になりました。
そこでも、当然の事ながら、心ない男の子から「小さな体」のことをからかわれますが、
もう、フィンは全く動じません。
その時、「気球」の話になって、子供たちから「気球」について質問されたフィンは、
自分が気球の事には、あまり詳しくないことに気づきます。
その夜、ジョー、オリビアと、くつろいだ時を過ごすフィン。
「気球」っていいな。
気球のこと、調べてみようかな、と半ば独り言のように語ります。
鉄道から気球へ。
フィンの人生が、さらに新しい方向に向かっていくことを予感させつつ、
物語は終るのでした。
*** ***
私がこの映画を好きな理由は、
観ているうちに、主な登場人物たちの、
見た目ではなく、心が見えるようになってくるところ。
フィンの外見が、ほとんど気にならなくなってきたとき、
いつの間にか、映画を心の目でみている境地になっている事に気づかされます。
普段の生活のなかでは、明らかに見てくれに振り回されている私たち。
いかに外見や、表面上の振る舞いに振り回されて生きていることか。
この映画は、お説教抜きで、私たちを「こだわり」から自由にしてくれます。
そして、そこが、この映画の魅力だと思っています。
下のリンクをクリックすると、ロケで使われた駅の所在地の地図が出ます。
ニュージャージーの、ニューファウンドランドです。
もしあったら、ぜひ一度訪れてみたいものです。
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