アナーバーには、インターナショナル・ネイバーズという、
海外から来た人たちが、アメリカの社会にスムーズにとけ込むよう手助けする
非営利団体があります。
毎月1回、定例会のような全体の集まり(自由参加)と、
それぞれが独自に活動するグループ活動の2段がまえの構造です。
アメリカに来て間もない人を「ゲスト」と呼び、
アメリカ人の会員や、アメリカ生活が長い人たちは「ホステス」といい、
「ゲスト」をお世話する役をします。
わたしは、アメリカ生活が長いため、「ホステス」をしています。
* 2013- 4年度から、新しい方たちを「ニューカマー(Newcomer)」、
その他の人たちを「ネイバー(Neighbor)」という分け方になりました。
わたしは、アメリカ生活が長いため、「ホステス」をしています。
* 2013- 4年度から、新しい方たちを「ニューカマー(Newcomer)」、
その他の人たちを「ネイバー(Neighbor)」という分け方になりました。
「ホステス」ですから、その中のいくつかのグループに所属して活動しています。
その中の「日本語ディスカッション・グループ」は、
月2回、テーマを毎回持ち、日本語で話し合いをするのですが、
日本語が第2言語の人と日本語が母国語の人とが交流し、理解しあう事が目的です。
このグループは、じつに個性豊かで、
世代も上は90才から下は赤ちゃん連れの若いママまでが和気あいあい。
とても楽しい集まりです。
さて、その日本語ディスカッション・グループの中に、
ガース暢子(Nobuko Gerth )さんという、
日本、アメリカ、ドイツの3か国で暮らし、
3か国語に堪能な女性がいます。
先頃、88才(米寿)のお誕生日を迎え、一緒にお祝いをしました。
この暢子さんが、最近、自分史(回顧録)を出版しました。
Seven Downs and Eight Ups: An Autobiography
日本語でいうと、「七転び、八起き」
先頃、88才(米寿)のお誕生日を迎え、一緒にお祝いをしました。
この暢子さんが、最近、自分史(回顧録)を出版しました。
日、米、独 3か国で生活した暢子さんの人生には、
それこそ「山あり谷あり」。沢山のドラマがあります。
ですから、本のタイトルは「七転び 八起き」
それこそ「山あり谷あり」。沢山のドラマがあります。
ですから、本のタイトルは「七転び 八起き」
暢子さんと会い、おいしいお茶と、お菓子をごちそうになった時の写真。 いつもの楽しいお話は写真には取れないので残念。 |
「暢子の暢は、暢気(のんき)の暢」と、暢子さんはよく自己紹介で説明します。
もうすでに何人か上にきょうだいがいた暢子さん、
彼女が生まれた時、ご両親は、この子は、のんびり楽に育てられますように、
と願ってこの名前をつけたとか。
日本の深窓のご令嬢だった暢子さんですが、
戦争続きの子供時代、青春時代を過ごしています。
ほとんどの時期が、勉強どころではなかった時代です。
「だから、ものすごく勉強したいという気持ちが強かったんですよ。
学ぶ事に、とても飢えていました」
学ぶ事に、とても飢えていました」
暢子さんは、戦後、社会学の勉強に、アメリカに渡ります。
そして、ウイスコンシン大学で、ドイツ人社会学者である
未来の旦那様 ハンス・ガース教授(Prof. Hans Gerth)と出会いました。
http://www.answers.com/topic/hans-gerth(英語)
未来の旦那様 ハンス・ガース教授(Prof. Hans Gerth)と出会いました。
http://www.answers.com/topic/hans-gerth(英語)
暢子さんは、日本の家族の猛反対を押し切って結婚。
国際結婚などとんでもない、という時代です。
暢子さんにとって、精神的にとても辛かった時期です。
「1年の予定のつもりで海外に勉強に出たのが、こんなわけで、一生になりました」
アメリカでの生活の後、1971年、ご主人の母国ドイツへ渡ります。
暢子さんは、この時40代。
ドイツ語はほとんど知らず、一からの勉強でした。
ドイツでの生活が10年にも満たない、1978年、
ご主人が亡くなってしまいました。
暢子さんは、そのままドイツで生活。
通訳として長く働きました。
ドイツ語、英語、日本語の通訳です。
長くドイツで暮らしていたのですが、
息子さんはアメリカに渡り、アナーバーで暮らしています。
そこで、通訳を引退した暢子さんは、息子さんから切望され、
6年ほど前、再びアメリカに引っ越して来ました。
暢子さんはとてもお話が上手な方で、
いつも楽しく体験を交えたお話を、ユーモアを交えつつ聞かせていただいています。
暢子さんの人生には、じつにいろいろな事が起こっており、
普通だったら、ペションとへこんでしまいそうな事も多々あります。
でも、暢子さんは、持ち前の暢気の「暢」で、乗り越えてきています。
会うといつも元気をいただける感じの人柄です。
暢子さんの書いた本は過去にもありますが、すべて専門書です。
今回の本はプライベートな回顧録。
戦前、戦中、戦後の日本での子供時代の生活など、
わたしたち日本人にとって、とても興味深いものがあります。
「日本語で書いたら良かったのに〜」
というのが周囲の日本人仲間の多くの感想(そして希望)。
なにしろ、日本人のわたしたちにとって読みたい内容が沢山なのです。
英語より、日本語の方がやっぱり読みやすいですからね。
とはいえ、暢子さんは、わかりやすい文を書く事にいつも注意を払っています。
昔書いた専門書も、一番読みやすく、
わかりやすく面白かったという感想を沢山いただいたそうです。
ですから、今回の本も、英語ですが、とても読みやすいです。
わたしは暢子さんから、これまでちょこちょこと昔のお話をうかがっていたので、
読みながら、何だか暢子さんのおしゃべりを聞いているような気持ちになりました
なぜ、暢子さんがこの本を書いたか?
それは、昔の日本の事を知っている人間が少なくなってきたため、
記録として何かを残しておかなくてはという気持ちになったことが1つ。
確かに、1930年代から第二次世界大戦の終わりにかけての日本の生活を
自分の体験として語れる人たちは貴重です。
読んでいて、とても興味深いものがありました。
(暢子さんは当時、東京で生活していました)
そしてもう1つは、
「息子は母親が日本人だった事は何とかわかっていますけど、
どこまで理解しているかというとよくは知らない。
孫の方となるともう、どうイメージしていいかわからない。
ですから、昔の事、家族の歴史、
そういったものを、きちんとした形で書いておきたかったの」
なるほどと思いました。
だから暢子さんは、この本は英語で書かなくてはいけなかったのですね。
日本にいるご実家の関係以外、
日本語が理解できる家族(身内)が1人もいないのです。
つまり、暢子さんが一番いろいろな事を伝えておきたい家族に
理解してもらうためには、英語で書かなければ内容が正確に伝わりません。
これまでずっとコンピューターの前に座りっぱなしだったのが解放されて、
ほっと一息の暢子さんです。
日本語でも書いてほしいのですが。。。
本を出すプロセスは、とても大変だったので、
無理を承知の上でのリクエストです。
出版が大変だったら、ブログでもいいと思うのですが。。。
「もし、日本語で何かまたという場合は、
今回と全く同じってわけではなく、テーマを変えると思いますよ」
暢子さん、いつまでもお元気で、頑張ってくださいね!
******************参考****************
Seven Downs and Eight Ups: An Autobiography
Hans Gerth(book)
http://www.amazon.com/Jahrbuch-f%C3%BCr-Soziologiegeschichte-1999-2000/dp/3810032824/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1365994416&sr=1-3
http://www.answers.com/topic/hans-gerth(英語)
International Neighbors, Ann Arbor,MI
International Neighbors Official Site
国際結婚などとんでもない、という時代です。
暢子さんにとって、精神的にとても辛かった時期です。
「1年の予定のつもりで海外に勉強に出たのが、こんなわけで、一生になりました」
アメリカでの生活の後、1971年、ご主人の母国ドイツへ渡ります。
暢子さんは、この時40代。
ドイツ語はほとんど知らず、一からの勉強でした。
ドイツでの生活が10年にも満たない、1978年、
ご主人が亡くなってしまいました。
暢子さんは、そのままドイツで生活。
通訳として長く働きました。
ドイツ語、英語、日本語の通訳です。
長くドイツで暮らしていたのですが、
息子さんはアメリカに渡り、アナーバーで暮らしています。
そこで、通訳を引退した暢子さんは、息子さんから切望され、
6年ほど前、再びアメリカに引っ越して来ました。
暢子さんはとてもお話が上手な方で、
いつも楽しく体験を交えたお話を、ユーモアを交えつつ聞かせていただいています。
暢子さんの人生には、じつにいろいろな事が起こっており、
普通だったら、ペションとへこんでしまいそうな事も多々あります。
でも、暢子さんは、持ち前の暢気の「暢」で、乗り越えてきています。
会うといつも元気をいただける感じの人柄です。
暢子さんの書いた本は過去にもありますが、すべて専門書です。
今回の本はプライベートな回顧録。
戦前、戦中、戦後の日本での子供時代の生活など、
わたしたち日本人にとって、とても興味深いものがあります。
「日本語で書いたら良かったのに〜」
というのが周囲の日本人仲間の多くの感想(そして希望)。
なにしろ、日本人のわたしたちにとって読みたい内容が沢山なのです。
英語より、日本語の方がやっぱり読みやすいですからね。
本の表紙は、ドイツ人のお友達の描いた水彩画を使いました。 |
昔書いた専門書も、一番読みやすく、
わかりやすく面白かったという感想を沢山いただいたそうです。
ですから、今回の本も、英語ですが、とても読みやすいです。
わたしは暢子さんから、これまでちょこちょこと昔のお話をうかがっていたので、
読みながら、何だか暢子さんのおしゃべりを聞いているような気持ちになりました
なぜ、暢子さんがこの本を書いたか?
それは、昔の日本の事を知っている人間が少なくなってきたため、
記録として何かを残しておかなくてはという気持ちになったことが1つ。
確かに、1930年代から第二次世界大戦の終わりにかけての日本の生活を
自分の体験として語れる人たちは貴重です。
読んでいて、とても興味深いものがありました。
(暢子さんは当時、東京で生活していました)
そしてもう1つは、
「息子は母親が日本人だった事は何とかわかっていますけど、
どこまで理解しているかというとよくは知らない。
孫の方となるともう、どうイメージしていいかわからない。
ですから、昔の事、家族の歴史、
そういったものを、きちんとした形で書いておきたかったの」
なるほどと思いました。
だから暢子さんは、この本は英語で書かなくてはいけなかったのですね。
日本にいるご実家の関係以外、
日本語が理解できる家族(身内)が1人もいないのです。
つまり、暢子さんが一番いろいろな事を伝えておきたい家族に
理解してもらうためには、英語で書かなければ内容が正確に伝わりません。
これまでずっとコンピューターの前に座りっぱなしだったのが解放されて、
ほっと一息の暢子さんです。
本を出すプロセスは、とても大変だったので、
無理を承知の上でのリクエストです。
出版が大変だったら、ブログでもいいと思うのですが。。。
「もし、日本語で何かまたという場合は、
今回と全く同じってわけではなく、テーマを変えると思いますよ」
暢子さん、いつまでもお元気で、頑張ってくださいね!
******************参考****************
Seven Downs and Eight Ups: An Autobiography
Hans Gerth(book)
http://www.amazon.com/Jahrbuch-f%C3%BCr-Soziologiegeschichte-1999-2000/dp/3810032824/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1365994416&sr=1-3
http://www.answers.com/topic/hans-gerth(英語)
International Neighbors, Ann Arbor,MI
International Neighbors Official Site
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